1型糖尿病を生きる

ちょっとした昔ばなしを────。

高校3年になって間もない春の終わり。私は、それまでの17年の人生を覆すような「死の宣告」を受けることになった。病名は「1型糖尿病」。青天の霹靂という言葉があるが、人はいざそうなった時、霹靂どころか、何も頭に入ってこないのだと思う。正直、医師からどのような説明を受けたのかも覚えていないし、どのタイミングで入院になったのかさえ記憶が曖昧なほどである。

前兆はあった。異様に喉が渇き、何をしても脱力感に苛まれる毎日。体力が落ちたのかと思い、食事を摂っても、摂れば摂るほど体力が奪われ、顔からは血の気が引いていく。鏡で自分の顔を見るたび、生きているのか死んでいるのかも分からない己に恐怖を覚えた。そんな中、ある日ついに、学校で倒れた。

病名を告げられたあとも、自分が重大な病気にかかったことへの実感もなく、人生初の「入院生活」に居心地の悪さを感じながら、病室の窓から空を見上げる日々。印象的だったのは、ある朝目覚めると、大勢の白衣を着た医者たちが自分を取り囲んでいたこと。主治医が彼らに一生懸命説明をしていて、医者たちは興味深そうに頷きながら、何かメモを取っていた。急に特別な立場にでもなったのかと思ったが、決して嬉しいものではなかった。退院する日、血糖測定器を渡してくれた看護師の方に「これはもらっていいのか?」と聞いたら、微妙な顔をされた。その場が不穏な雰囲気になったこともあり、看護師の引きつった顔を鮮明に覚えている。その時は理由が分からなかったが、今思えば、それはそうだろうと思う。

落ち込む暇もなかったが、今考えれば落ち込む意味すら分からなかったのだと思う。そして、大学に入る頃には、人との間に一定の距離を作るようになった。人と自分が違っているという自意識の中で作り出したその境界線?壁?のようなものは、時に居心地の良さを与えてくれたし、そうでない時もあった。

完全に、現実を受け入れるには、それから5年程かかることになる。ここで言う「完全に」とは、自分の中で消化するまでに、ということだ。

表面上で現実を受け入れることは簡単だった。自分がそういう病気になった。この病気は一生治らないこと。毎日、インスリンを打ち続けなければならないこと、打ち続ければ生き続けられること。それ以外は何も変わらず、ただ人生が進んでいくこと。案外、冷めた視線で自分を見つめることができていた。けれど、本当の部分で病気を受け入れるには時間を要した。

それでも、社会に出て、仕事をして、結婚して、30歳半ばになり、人生の半分を病気と共に生きてきたこの年になって、いろいろと考えるようになった。社会人として立ち位置が明確になり、それなりに成長して、自分をちゃんと客観視できるようになったからなのかもしれない。

────これまでのことを書き出してみると、そんな感じ。うーん、暗い・・・。

話は変わって、今の私の話を────。

私はデザイナーです。具体的に言うと Web デザイナー。フロントエンドエンジニア、UIデザイナー・・・いろいろな呼び方がありますが、パソコンやスマホに映し出される画面のデザイン設計を仕事としています。Web サイトやホームページというよりは、人が日々仕事で使うような業務システムの画面をデザインすることがメインです。もともとは Web サイトやホームページのデザインを手掛けていましたが、ひょんなことから東京で今の仕事に携わることになりました。

デザインという仕事は決して儲かる職業ではないですし、クライアントからの要求も多く、試行錯誤する毎日です。しかも、インハウスデザイナー(社内の専属デザイナー)に近い立場なので、孤立にもなりがち。まあ、それでも好きなことを仕事にできているわけで、楽しんでいると思います。

そんな中、とある流れが気になっていて、将来的にそれが「素敵な出会い」になるんじゃないかとワクワクしています。

それは「ウェアラブル端末」の普及。健康とテクノロジーを融合させた新しい潮流です。AppleWatch のようなスマートデバイスや健康状態を可視化できる活動量計タイプのスマートウォッチとか。何となくですが、自分の今の仕事と、自分が最も興味のある分野につながりそう。そんな期待を寄せているんです。
健康とテクノロジーをデザインする。これって素敵です。

このブログでは、デザイナーとして生きていく中、一緒に発展していくことになるであろうウェアラブルデバイスについて、いろいろ書いていければと思っています。

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